”秋田竿燈まつり”の竿燈

「秋田竿燈まつり」は、秋田県秋田市で行われる祭りで、短く「竿燈(かんとう)」と呼ばれることもあります。

この竿燈は、竹を組み立てて数多くの提灯(ちょうちん)をつるしたもので、全体を見ると稲穂に、連なる提灯は米俵に見えるように作られています。
高さ約12メートル、重さ約50キログラムもあるこの巨大な物体を「指し手」と呼ばれる人が自分の額・腰・肩などにのせながら巧みにバランスを取ることで、その技術を競い合います。

東北三大祭りのひとつ

なお、この祭りは重要無形民俗文化財に指定されていて、青森の「ねぶた祭り」と仙台の「七夕まつり」に並ぶ「東北三大祭り」の1つとされています。

日本三大提灯祭り とも

また、福島県の「二本松提灯祭り」と愛知県の「尾張津島天王祭」と並んで「日本三大提灯祭り」としても有名です。

"竿燈まつり" またの名を "ねぶり流し"

竿燈まつりの原型となるものは、笹や合歓木に願い事を書いた短冊を吊り下げ、手にとって練り歩いた後に川へ流して真夏の病魔や邪気を払う「眠り流し」といわれています。
この眠り流し自体は江戸時代以前から行われていました。
「眠り流し」という言葉はやがて訛って、秋田市で「ねぶり流し」と呼ばれるようになりますが、宝暦年間に蝋燭が普及し、お盆にて門前に掲げた高灯籠などがあり、これらが組み合わされてこの県オリジナルの行事に発展したといわれています。
この「ねぶり流し行事」においても、真夏の病気や邪気を払うことを目的としていました。ねぶり流しを記している最古の文献は、寛政元年「津村淙庵」の紀行文「雪の降る道」で、陰暦の7月6日にねぶり流しが開催されていることがわかっています。
当時からこの県独自の風俗として伝えられていて、十文字にかまえた長い竿に灯火をたくさんつけ、太鼓を打ちながら町中を練り歩き、その灯火は二丁・三丁にも及んでいました。また、五穀豊穣・無病息災・技芸上達などを願って旧暦7月7日に行われる「七夕行事」と共に、旧暦7月15日のお盆を迎え入れるための行事として現在の形になったとも伝えられています。

様々な資料にのる歴史

竿燈まつりは、町に住む職人や商人によって始められ、年を重ねるごとに灯篭の数が増えるようになり、これを支える指し手の力を競うようになっていきました。そして、蝋燭や提灯が数多くいた町民たちにも普及し、力よりも華麗な技を競い合うようになって現在の形に変化していったといわれています。具体的にどの時期から現在のような形になったのかははっきりしていませんが、いくつかの資料からおおよその内容は伺えます。例えば、

「雪の降る道」

紀行文「雪の降る道」には、現在の竿燈に近い姿の絵が描写されていたり、

「秋田風俗問状答」

文化11年に記された「秋田風俗問状答」には、平手で竿燈を持ち上げている絵もあります。

「出羽の道わけ」

さらに、慶応3年の作品「出羽の道わけ」においては、指し手が竿燈を頭に乗せて演じている姿の絵も残されています。

竿燈の語源

なお、竿燈の語源は、久保田藩士大久保盛実の子で、後に衆議院議員や秋田市長となる「大久保鐵作」が景徳傳燈録の百尺竿頭須進歩からヒントを得て名付けたとされていますが、
もっと古い時代には「作り灯篭」「ネブリナガシ」「七夕」とも呼ばれていました。
この祭りの魅力は、指し手が提灯の重みでしなる竿燈を巧みにバランスを保ちながら手・肩・額などに移動させる技の美しさや面白さにあります。

「どっこいしょー、どっこいしょ」という夏祭りらしい元気な掛け声の中で、激しく左右へ揺れる竿燈を差し手が自由自在に操る姿に見ている観客も大いに盛り上がります。提灯の数がとても多いため、夏の夜を美しく彩るだけでなく、大きくしなった竿燈がまるで稲穂のように見えるため、米どころとして有名な秋田の祭りにふさわしい風情を醸し出します。

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